実は、メキシコの山岳に住み「走る民族」として有名な「タラウマラ族」と、日本人は祖先が同じです。つまり日本人はもともと走る民族としてのDNAを持っているのですが、そのお話は次々回で書きますのでそちらをご覧ください。
http://otonano-kagaku.blogspot.jp/2017/01/blog-post_23.html
今回は、走るためにとても重要な「日本人の精神面」のお話です。
日本人はマラソンを人生に例えることが好きです。選手が苦しさを耐えて我慢強く走り続ける姿を見て、自分達の生活や人生に重ね合わせ、深い共感と感動を覚える国民性があります。
今から53年前の東京オリンピック(1964)では、優勝したエチオピアのアベベ・ビキラ選手は、「裸足のアベベ」とか「走る哲学者」の愛称で日本で一躍有名になりました。アベベは海外よりも日本で特別人気が高いですが、それは彼の強さだけではありませんでした。まるで修行僧のように走るアベベの姿に人生と哲学を日本人は感じたからでした。
アベベ・ビキラ選手
1964年の東京オリンピック 毎日新聞社
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そしてなによりも、この試合で銅メダルに輝いた日本の円谷幸吉選手の頑張りに日本人は皆深く感動しました。後年、円谷選手に起きた悲しい出来事とあまりに美しく悲しい遺書の内容に日本中の人が感動し、そして泣きました。
円谷選手の遺書について、ノーベル文学賞を受賞した川端康成は、「...美しくて、まことで、かなしいひびきだ...千万言も尽くせぬ哀切である」と語りました。
三島由紀夫も「...傷つきやすい、雄々しい、美しい自尊心...」と円谷選手の生き方をを絶賛しました(Wikipedia 参照)。
遺書の全文は、以下のURLを参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E8%B0%B7%E5%B9%B8%E5%90%89
円谷幸吉選手
1964年東京オリンピック
円谷幸吉メモリアルマラソン大会HPの写真
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マラソンが日本人の心の中でより精神性を増し、特別な存在になったのはこの時からだと言っても過言ではないと思います。
しかしその当時は、マラソンは鍛えた選手のための競技でした。一般人は観戦して応援するスポーツでした。気軽に参加できるスポーツではなかったのです。
前回の東京オリンピックから約50年経った現在、社会は大きく変わりました。Kanikamaのように運動歴のない中高年から若いOLまで、ジョギングの流行が全国的に広まりました。
「一生に一度はフルマラソン完走」を目指す人が年々増えています。
故・円谷幸吉選手が現在の明るく華やかで、一般人が楽しんで参加するマラソン大会の様子を見たらさぞや驚くことでしょう。
このように時代が変わった現在でも、日本人はやはりマラソンを走りながら人生を考えます。それは今も昔も変わらない日本人の性格です。
目標を設定して精神的な達成感を得たいのならフルマラソンは申し分ないチャレンジです。興味があれば「人生に一度はフルマラソン」に皆さんもぜひ挑戦して下さい。
但し、 kanikamaと同様、運動素人の一般人は、無理は危険です。制限時間が長い、もしくは制限時間のない大会を探して、マイペースで走りましょう。
日本の多くのマラソン大会は、制限時間が6時間以内が多いです。運動素人の一般人には、そこそこ頑張って練習をしても、6時間制限の壁は結構きついです。
制限時間を長くして、多くの参加者がゆっくりと楽しんで走れる大会が増えて欲しいものです。ホノルルマラソンは制限時間がなく歩いても楽しめるので大人気ですね。
次回は、現代人の健康のための10km走、ハーフマラソンの勧めについてお話します。
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